2009年 10月 31日
・わたしのこと、、、、ディープな話その2。 |
↓性別がまだ分からなかったときのベビ服お洗濯干し。
おもしろくない
しかもちとディープな話、。
つづきマス、。
お忙しい方はまたの機会に
遊びにいらしてくださいマセ、。
もうしわけない、、。
ひとりで治療を始めたばかりの頃、
ホントは心臓バクバク
口から飛び出そうなくらい緊張しながらも
平然を装いつつ
オットに何気なく問うてみた。
あいかわらず仕事が忙しく
義母の退院後の体調も思わしくないため
オットの精神的に抱えられるキャパに
ほとんど余裕が無いことが分かっていたので
それまでのワタシの検査や今後の治療方法などは
1,2割ほどしか話さずして
聞いてみた。
「子はほしいか」と、。
するとオット、
チョット困った顔して
「そりゃぁakoとの子だもの、、。」
今思えば彼なりに
最大限気を使った返事だったのかと思う。
どんな返事であったとしても
脳みそが爆発しそうなくらい一人で悩んでいた悩みだったので
その返事を聞いて「アンタ勝手だワ!!」と
実はカチンと来て
悔しい思いがフツフツと溢れて来たくらいだった。
1月中旬、
不妊治療第一弾
ヘタすると失神するくらい痛いラシイ
卵管造影検査をする。
詰まっていたらいかん
卵管を貫通させて妊娠しやすくさせるという治療。
レントゲンを見ながら麻酔ナシで
ひんやり冷たくニュルンとした造影剤を卵管に通して行く。
コレは詰まっていると痛い。
詰まっていないとそれほど痛くない。
最悪失神するほど痛いらしい、。
下調べではそんな感じだった。
結果、
一般的な量より1,5倍造影剤を投入された。
痛かったかというと、、、、
インフルエンザにかかった時の
吐きそうで吐けないお腹グルグル下っているのが
上がってくる、、、 (汚くてゴメンナサイ、、)
そんな感じ。
辛いが30分ほどで終わること。
例の女医さんがしてくれたので気分的には意外と楽だった。
ヒーヒーいいながらも
なんとか耐えた。
ワタシの卵管は一般的な卵管よりもむしろ太い、とのこと。
つまりは
造影剤で押し出しちゃったかも♪と先生。
(ワタシに続いて同じ検査の女性は
真っ青な顔してレントゲン室から出てきたからその方はだいぶキツかった模様、。)
その卵管造影をすると
半年ほど妊娠成功率が向上するらしい。
つまり
まず第一の区切りはこの半年間なのだ。
その後は
より人工的なことになる。
もちろんお急ぎコースの方には
飛び級の方法だってアリらしい。
(あるとき悩んでいることを話したらそんな提案をされたこともあった。)
ちなみにワタシがカウンセリングのとき先生に聞いたひとつ
へぇ~っと思ったひとつがコレ↓。
ako「不妊治療はどれくらいの期間で妊娠できるのですか?」
女医「そうだねぇ、、大抵の人は1年くらいでなんとか。。
旦那さんの転勤とか年齢とかの理由でお急ぎの方は
最短、、、そうだなぁ 8ヶ月くらいかな。」
真顔で女医はそう答えた。
世の中の不妊治療ってそんなにうまく行くものなの?
では、、
ワタシの知り合いの8年できなかったオクサンはどういうことなのだ??
素朴な疑問。
コレばっかりは運、というけれど
ここまで平然と真顔でお答えいただけると
疑いようも無い。
ホントかよ。と思ったが
その女医さんの自信にすがるしかなかったので
言われるがまま、
治療は進められていった。
その後も
母たちにはなんやかんやあり
ワタシのモヤモヤは減ることなくむしろ増える一方だったし、
治療の方はやがてオットのほうの検査もしていきましょうと言われ始める。
不妊の原因は夫婦どちらも同パーセントくらいの確立で
問題があるらしい。
がしかし、
ワタシの場合はワタシに問題があることがすでに判明しているので
ただでさえ義母と仕事のことで頭いっぱいになっている我がオットだったから
ワタシのコトに関してはなるべく負担やプレッシャーをかけたくなかった。
女医さんにはなんとか夏までには、、、と
ごまかしながら
見えるようで見えないプレッシャーに押しつぶされそうになりながら
ワタシだけの治療を始め続けていた。
そして3,4月。
ワタシのキャパが崩壊。
自律神経失調症(?)になる。
・不眠(からだは眠いけど脳が眠くない)
・呼吸困難
・発汗&悪寒
・震え
・まっすぐ歩けない。
・食欲なし。
でも
、、熱は無い。。
ココロもカラダもおかしくなった。
そして
オットととことん話し合う。
義母のこと母のこと
オットの仕事の忙しいことへの心配。。
あえて話していなかった、
話辛かった
不妊治療のことも
全部話した。
オット意外にも反省。
ワタシにもっと気を使うべきだったと
ワタシからすると
それは意外な反応だった。
その数日後
GWがやってきた。
旅行へは自律神経の影響ですっかり
もやしっこになってしまっていた。
旅の間は
やけにやさしいオットで
変にワタシに気遣いまくり、、
それはそれで気持ち悪いくらいだった。
今となっては
すっかり寝込んでいて体力が落ちてしまってたのに
いろいろ方々へ連れまわされ疲れた記憶が大きい、。
その後、
また具合が悪くなった。
実はGWの帰省時に
義母からオットの弟にあかちゃんができたことを聞かされたのだ。
オットの弟は数ヶ月前に前嫁と離婚し
やっとこさ調停やらがすべて済んだとの話をつい最近聞いた矢先。
新しい彼女との間にもう子をこさえていたのだ。(=現在の嫁)
義母はそんな息子の離婚問題で体調を壊し入院&手術したようなものだったので
ワタシにとってはとんだ踏んだりけったりな話だった。
こんなにがんばって義母のお世話をしているのに
ひどいよう、。
なんとかその場は取り繕ったが
義母はワタシの心のうちナゾ知る由も無く、
いつにも増して反応が薄いことに納得がいかないらしく
本宅に滞在中何度もその同じ話題を振ってきた。
1日2日だったけれど
朝から晩まで本宅の家事をしたのにかかわらず
ふぅと休憩しようとリビングに行く度にその話、。
そのたびに
傷ついた心を何とか自力で癒し
忘れられたと思ったらまたぶり返す
新しい嫁話、、、。
こ、、堪えた、。
その帰り道、
義母の仕打ちはさすがにきつい。
もう聞きたくない!とオットにがんばって話すと
「なんとなく聞き流してやってくれ。」と固く言い放った。
つまり、
弟の前妻から離婚話で散々痛めつけられた義母だから
長男の嫁のワタシとだけは
仲良く過ごしてほしいと夫からの強い希望だった、。
オットはやはりわたしの気持ちよりも
義母の気持ちを優位に考えるのだ。
ワタシはまた落ち込んだ、。
また体調がおかしくなった。
息苦しく
悪寒発汗が半端ない。
ココまでは前回と同じ症状。
このときは前回の症状にこれら↓がプラスされた。
・喉が無性に渇く。
・成長期のようにからだの関節が痛い。
・微熱があった。
、、、、風邪か?
でも鼻水や喉の痛みは無い、。
自律神経失調症から
とうとうプチウツになったのかと
その数日後
病院へ行く日だったので
精神科へも診て貰いたいと告げようか、と
真剣にオットと話し合ったくらいだった。
その際、
不妊治療と精神的なものだった場合は
平行治療できるか、それとも治療を一旦中断するか、、
それも聞かなくては、、
それらを書いたメモを手に覚悟して
女医さんのもとへ向かった。
当日、
ヘロヘロめまいを覚えながら半泣きで
「調子悪いです!半端なくおかしいです。」と女医さんに訴える私。
長々と続くわたしの話に
耳だけは傾けつつ
女医先生の目線はワタシが診察の度に差し出す用紙を見ていた。
そして、
がーーっと
一方的にワタシ興奮しながら話そうと思っていたことすべて話し切った後、
先生が一言、
「このグラフを見て何か思わない?」
、、、、、、はにゃ?
先生が手にしていた紙は
毎朝ワタシがうんざりしながらイヤイヤ付け続けていたもの。
けれどそれが無くては治療は進まないくらい重要な
婦人体温表だった。
おもしろくないケド、
つづく、。
おもしろくない
しかもちとディープな話、。
つづきマス、。
お忙しい方はまたの機会に
遊びにいらしてくださいマセ、。
もうしわけない、、。
ひとりで治療を始めたばかりの頃、
ホントは心臓バクバク
口から飛び出そうなくらい緊張しながらも
平然を装いつつ
オットに何気なく問うてみた。
あいかわらず仕事が忙しく
義母の退院後の体調も思わしくないため
オットの精神的に抱えられるキャパに
ほとんど余裕が無いことが分かっていたので
それまでのワタシの検査や今後の治療方法などは
1,2割ほどしか話さずして
聞いてみた。
「子はほしいか」と、。
するとオット、
チョット困った顔して
「そりゃぁakoとの子だもの、、。」
今思えば彼なりに
最大限気を使った返事だったのかと思う。
どんな返事であったとしても
脳みそが爆発しそうなくらい一人で悩んでいた悩みだったので
その返事を聞いて「アンタ勝手だワ!!」と
実はカチンと来て
悔しい思いがフツフツと溢れて来たくらいだった。
1月中旬、
不妊治療第一弾
ヘタすると失神するくらい痛いラシイ
卵管造影検査をする。
詰まっていたらいかん
卵管を貫通させて妊娠しやすくさせるという治療。
レントゲンを見ながら麻酔ナシで
ひんやり冷たくニュルンとした造影剤を卵管に通して行く。
コレは詰まっていると痛い。
詰まっていないとそれほど痛くない。
最悪失神するほど痛いらしい、。
下調べではそんな感じだった。
結果、
一般的な量より1,5倍造影剤を投入された。
痛かったかというと、、、、
インフルエンザにかかった時の
吐きそうで吐けないお腹グルグル下っているのが
上がってくる、、、 (汚くてゴメンナサイ、、)
そんな感じ。
辛いが30分ほどで終わること。
例の女医さんがしてくれたので気分的には意外と楽だった。
ヒーヒーいいながらも
なんとか耐えた。
ワタシの卵管は一般的な卵管よりもむしろ太い、とのこと。
つまりは
造影剤で押し出しちゃったかも♪と先生。
(ワタシに続いて同じ検査の女性は
真っ青な顔してレントゲン室から出てきたからその方はだいぶキツかった模様、。)
その卵管造影をすると
半年ほど妊娠成功率が向上するらしい。
つまり
まず第一の区切りはこの半年間なのだ。
その後は
より人工的なことになる。
もちろんお急ぎコースの方には
飛び級の方法だってアリらしい。
(あるとき悩んでいることを話したらそんな提案をされたこともあった。)
ちなみにワタシがカウンセリングのとき先生に聞いたひとつ
へぇ~っと思ったひとつがコレ↓。
ako「不妊治療はどれくらいの期間で妊娠できるのですか?」
女医「そうだねぇ、、大抵の人は1年くらいでなんとか。。
旦那さんの転勤とか年齢とかの理由でお急ぎの方は
最短、、、そうだなぁ 8ヶ月くらいかな。」
真顔で女医はそう答えた。
世の中の不妊治療ってそんなにうまく行くものなの?
では、、
ワタシの知り合いの8年できなかったオクサンはどういうことなのだ??
素朴な疑問。
コレばっかりは運、というけれど
ここまで平然と真顔でお答えいただけると
疑いようも無い。
ホントかよ。と思ったが
その女医さんの自信にすがるしかなかったので
言われるがまま、
治療は進められていった。
その後も
母たちにはなんやかんやあり
ワタシのモヤモヤは減ることなくむしろ増える一方だったし、
治療の方はやがてオットのほうの検査もしていきましょうと言われ始める。
不妊の原因は夫婦どちらも同パーセントくらいの確立で
問題があるらしい。
がしかし、
ワタシの場合はワタシに問題があることがすでに判明しているので
ただでさえ義母と仕事のことで頭いっぱいになっている我がオットだったから
ワタシのコトに関してはなるべく負担やプレッシャーをかけたくなかった。
女医さんにはなんとか夏までには、、、と
ごまかしながら
見えるようで見えないプレッシャーに押しつぶされそうになりながら
ワタシだけの治療を始め続けていた。
そして3,4月。
ワタシのキャパが崩壊。
自律神経失調症(?)になる。
・不眠(からだは眠いけど脳が眠くない)
・呼吸困難
・発汗&悪寒
・震え
・まっすぐ歩けない。
・食欲なし。
でも
、、熱は無い。。
ココロもカラダもおかしくなった。
そして
オットととことん話し合う。
義母のこと母のこと
オットの仕事の忙しいことへの心配。。
あえて話していなかった、
話辛かった
不妊治療のことも
全部話した。
オット意外にも反省。
ワタシにもっと気を使うべきだったと
ワタシからすると
それは意外な反応だった。
その数日後
GWがやってきた。
旅行へは自律神経の影響ですっかり
もやしっこになってしまっていた。
旅の間は
やけにやさしいオットで
変にワタシに気遣いまくり、、
それはそれで気持ち悪いくらいだった。
今となっては
すっかり寝込んでいて体力が落ちてしまってたのに
いろいろ方々へ連れまわされ疲れた記憶が大きい、。
その後、
また具合が悪くなった。
実はGWの帰省時に
義母からオットの弟にあかちゃんができたことを聞かされたのだ。
オットの弟は数ヶ月前に前嫁と離婚し
やっとこさ調停やらがすべて済んだとの話をつい最近聞いた矢先。
新しい彼女との間にもう子をこさえていたのだ。(=現在の嫁)
義母はそんな息子の離婚問題で体調を壊し入院&手術したようなものだったので
ワタシにとってはとんだ踏んだりけったりな話だった。
こんなにがんばって義母のお世話をしているのに
ひどいよう、。
なんとかその場は取り繕ったが
義母はワタシの心のうちナゾ知る由も無く、
いつにも増して反応が薄いことに納得がいかないらしく
本宅に滞在中何度もその同じ話題を振ってきた。
1日2日だったけれど
朝から晩まで本宅の家事をしたのにかかわらず
ふぅと休憩しようとリビングに行く度にその話、。
そのたびに
傷ついた心を何とか自力で癒し
忘れられたと思ったらまたぶり返す
新しい嫁話、、、。
こ、、堪えた、。
その帰り道、
義母の仕打ちはさすがにきつい。
もう聞きたくない!とオットにがんばって話すと
「なんとなく聞き流してやってくれ。」と固く言い放った。
つまり、
弟の前妻から離婚話で散々痛めつけられた義母だから
長男の嫁のワタシとだけは
仲良く過ごしてほしいと夫からの強い希望だった、。
オットはやはりわたしの気持ちよりも
義母の気持ちを優位に考えるのだ。
ワタシはまた落ち込んだ、。
また体調がおかしくなった。
息苦しく
悪寒発汗が半端ない。
ココまでは前回と同じ症状。
このときは前回の症状にこれら↓がプラスされた。
・喉が無性に渇く。
・成長期のようにからだの関節が痛い。
・微熱があった。
、、、、風邪か?
でも鼻水や喉の痛みは無い、。
自律神経失調症から
とうとうプチウツになったのかと
その数日後
病院へ行く日だったので
精神科へも診て貰いたいと告げようか、と
真剣にオットと話し合ったくらいだった。
その際、
不妊治療と精神的なものだった場合は
平行治療できるか、それとも治療を一旦中断するか、、
それも聞かなくては、、
それらを書いたメモを手に覚悟して
女医さんのもとへ向かった。
当日、
ヘロヘロめまいを覚えながら半泣きで
「調子悪いです!半端なくおかしいです。」と女医さんに訴える私。
長々と続くわたしの話に
耳だけは傾けつつ
女医先生の目線はワタシが診察の度に差し出す用紙を見ていた。
そして、
がーーっと
一方的にワタシ興奮しながら話そうと思っていたことすべて話し切った後、
先生が一言、
「このグラフを見て何か思わない?」
、、、、、、はにゃ?
先生が手にしていた紙は
毎朝ワタシがうんざりしながらイヤイヤ付け続けていたもの。
けれどそれが無くては治療は進まないくらい重要な
婦人体温表だった。
おもしろくないケド、
つづく、。
by sunamoru
| 2009-10-31 22:33
| ・ベビ関連。