2009年 10月 31日
・わたしのこと、、、、ちとディープな話。 |
*本日の記事はワタクシごとでございます。
ネズミたちのコトは本日登場しません。
申し訳ナイ、。
あしからズ。
さて。
予告しましたとおり
本日はワタクシのおもしろくない
ネズミトークなしの記事となります。
しかも長い、、、
もうしわけない、、(汗)。
エット、、
どこから書けばいいのダ、。
えーと
この春3,4月にワタシってば調子が悪いと
ここでサンザン嘆かせていただいたのを
なんとなーく
御記憶されている方はいらっしゃるだろうか、。
その時、
モンモンと自分ではどうしようもできないコトについて
悩んでいました、ら
気づいたら気がおかしくなっておりましタ。
夜中に起き出して窓の外を明け方まで見ていたり、
ダンボールに包丁と万能はさみをぶっさしたオブジェ作って
オットをびびせてみたり♪。
我ながら
「コワイ、、」と思ったのが
これまで考えたことなんてあるはずもないコト。。
10年位前に起きた某都市での少年殺害事件の犯人の心理が
そのときすごく理解できちゃったりして
同情まで?自分の中で芽生えてしまったりした、。
コレ、
当時の私としては
シレーッと平然とやってのけていたのだから
だいぶイってしまっている、。
同時にオットと会話しない、
ブンブンと首を振る、とか
反応を示さなくなったワタシ。
なんのことはない。
オットのいない日中は
イヤってほど悩み考え事をして
自問自答を繰り返していると
家事やごはんはちゃんと作ってるし
ベツにわざわざオットと会話しなくてもいいじゃん。めんどくさい。、と
そんな心理になっていった。
そんなことを2週間ほど続けたある日、
オット泣く(笑)。
「御願いだからなんでもいいから話してくれ。」と泣いた。
んもぅ。
めんどくさいなぁ、と思いつつ
オットってば
珍しく必死な顔して
食い下がろうとしないものだから
(そりゃそうダ。)
で、。
一晩かけて
自分の自問自答したコト、
抱えている悩み、
オットに話していないこと。思っていること。
義母のこと
母のこと、、、
最後はもぅ
ぐったりするほど
オットにぶちまけた。
じつは。
昨年の今頃から不妊治療をしていた。
理由はいくつかあって
その時期義母が大手術をして失敗し大量出血のため
そのまま亡くなってしまうかも、という
リアルな死と隣り合わせの現場を
生まれて初めて目の当たりにした。
それは
よく見るドラマのひとシーンでなくて
リアルな時間。だった。
そして
自分の母親もガンの再発、転移の疑いと
その母をサポートする父が窶れ疲れ始めていたこと。
しかしワタシは義母のサポートの方が手一杯でなかなか
体も気もうまく回らず
知らないうちに参っていた。
そのときのオットはというと
仕事が猛烈に忙しくキリキリしていて
夜中に帰宅し朝も早く出勤していたし
やっと取れた休みでも義母の入院先への訪問へ時間を費やし
ワタシと交わす会話といったら
その道中の車内での時間くらいしかなかった。
私自身は
どこで診て貰ってもわからない、
ナゾの部分が体内にあった。
生理不順は若い頃からあったのだけれど
ソレとコレとの因果関係すら分からないままココまで来てしまっていて
一人で悩んでいたけれどダレに言うわけでもなく
自分でも不安でないふりをして過ごしてきた。
意を決して医者へ診せに行っても
分からない、の一点張り、か
金にならない客だと判断されたのか
やる気のない私にとってはひどい一言を投げかけて終わり、の医者が多かった。
もうそれだけで疲れ果ててしまったので
しばらく忘れようと思い、
過ごしていたらば、
ケッコンして1年経たずして
オットとワタシの未来のこと、家族のことを話し合う間もなく
アレヨアレヨと
どっぷり病人(母と義母)のサポート中心の生活に移行していったので
ワタシの病?どころではなくなった、
というのが
現実の流れだった。
そんなこんなで疲れ果てていたある日、
ポロリと母に自分の悩みを話しちゃったワタシ。
すると母、
すごい鼻息で
ガーーッっとまくし立て
「子供のことはベツにしてその良くわかんない部分は解明しなさい!」
と一歩も引かない剣幕で押し切られ、、
当時通っていたところから紹介状をもらって
現在の大学病院へかかることとなった、。
なぜ大学病院かというと
某子役タレントが難しい不妊症でかかっていてなんちゃらかんちゃら、と
母がテレビで目にしたからだ。
母自身もワタシを五体満足?で出してやれなかったと気になるらしい。
しかも
わが母は一度言い出すととまらないヒトだ。
その母が珍しいガンになり
娘の私もガン体質な可能性もなくもない。
しかもわかんない部分がナゾなのだから
その部分が何かの節に
おかしくなって居たりしたら
おかーさん死ぬに死ねない!とそんな鼻息だった。
一度言い出したら聞かない母。
そのことはわたしも父もうんざりするほどわかっている、。
義母の世話に明け暮れていたけれど
てきとーにかわすことのできないような母の鼻息だったので
同時並行でオットにももちろん義母にも言わずに
しぶしぶ、、、
大学病院へ通うことになる、。
まずはカウンセリングから始まり、
検査漬けの数日を過ごす。
もちろん自分の絶食半日を乗り越えた体で
ホントはヘロヘロなのだけれどそこは作り笑いをつくりながら
入院中の義母の病室へ洗濯物を運んだりした。
検査結果は
思いもしない意外な結果だったりもして
義母の洗濯物をたたみながらひとり泣いて
目を冷やしながらまた病室へ通った。
義母は婦人科病棟へ入院していたので
もちろん妊婦さんや赤ちゃんも入院しているわけで
泣き声はもちろんその姿を見かけない日はない。
そのときの
わたしにとっては
息が詰まるほどきつかった。
時には涙がぽろりと流れてしまうときもあった、。
でも義母には決して言わないと決めていたので
なんとか平然とした顔で通った。
3,4キロほど痩せた。
それからしばらく、
考える時間をもらうことにした。
オットの同意が必要になる段階まで来たからだ。
できるならオットに知られずに治療したかったのだけれど
そうも行かなく
自分だけの検査は済ませた段階で
義母の退院後と夫の仕事のタイミングの合間で
とうとうオットに話さなくてはならない段階まで引き伸ばしていた。
コレまで4,5箇所の病院でで診て貰った限りでは
“ワタシの左の卵巣がどうこうしている、おかしいらしい。”
とのことは分かっていた。
左の卵巣が無い、存在しない、だの
未熟、未発達だの、小さくてわかんないだの、、、、。
ソレが生理不順にさせているのかその因果関係もわからない、という
さぁっぱりワタシにだってわけわからん診察結果を抱え
大学病院へ乗り込んでいったのだけれど
まぁこれがさっぱりした治療方針を打ち出してくれたのが
今後ワタシの大好きな先生となる
不妊治療専門の担当女医さんだった。
「要は、、、なんだかわかんないケド
ケッコンしているなら子供ほしいでショ。
妊娠できたらいいんでしょ♪
それならがんばりましょ♪。」
それはそれは
すんごく明解で
さーっぱりした回答に
ワタシはあんぐりしてしまった。
実はワタシはあまり子供がすきではない、。なかった。
なぜだろうと考えてみたら
それらのトラウマが自分を暗示にかけて
ほんの少しなことでも傷つく心に壁をつくっていたのだ。ということに
やっと
最近結論が出た。
なのでオットとは
これまで
こどものこと、どうしようか、などと
話し合う機会をあえて避けてきたりしていた。
一度オットがワタシのその壁をむやみに突破しようとしたために
ワタシはオットが驚くほど大暴れして阻止したようなこともあって
わたしたち夫婦の間ではある意味タブーとしてきた
「こども」のことだった。
が、しかしそんなことは言っていられなくなった。
そのナゾの卵巣の解明方法と
不妊治療していく流れは
何度先生に聞いても切っても切り離せず
同じ治療方法、とのことだった。
ワタシ的には子供のことはとりあえず置いておいて
とりあえず、
「ナゾの卵巣の件を解明したいのだ。」と思っていただけに
なんだか煙に撒かれたような気持ちになりつつ
今年年明け、
数回のカウンセリングと検査、
そして数ヶ月のお悩み期間を終えて
いよいよ
「リアル」な治療段階へと進むことになった。
おもしろくないケド、
つづく、。
by sunamoru
| 2009-10-31 10:44
| ・ベビ関連。